気になるあの人“筧五郎さん”③~長野から愛知に戻って・・・

年越し特別企画

気になるあの人「筧五郎さん」

 

愛知に戻ってからは、どんな生活を?

正直にいいますが、負けて帰って来たっていう意識が強かったんで、かなり荒れました。自分に負けた・・・そういう気持ちが強くて。もう一度自転車と向き合うこともできない・・・。八方ふさがりの気分で、物に当たって壊すという、家庭内暴力に走りましたね(笑)。

いまは笑って話せますが、当時は親も大変だったと思います。それがある日、母親から「自転車への思いが残っているんだから、もう思い残すことがないという所まで燃え尽きてきなさい。とにかく、自分に勝ったと思えるまでやりなさい」と言われ、自分が心の奥底ではやっぱり、自転車に人生をかけてみたいと思っていたことに気づかされました。

それから、午前中は家でパン作りなどの仕事をさせてもらい、午後から自転車の練習を再開。62キロあった体重を52キロまで絞り、

ヒルクライムをやりはじめたのもこの頃です。

練習再開の成果はありましたか?

そうですね。復帰第一戦として国体の前哨戦「都道府県ロード」に出場しましたが、ラスト5キロくらいまでは、トップの4~5人の集団に残れました。ところが、最後の坂で足が攣ってしまい、ガードレールにつかまって走る状態になってしまったんです。でも、この時は自分ができる努力をし尽して出場したとの思いがあり、それでこの成績なんだから、これが僕の実力なんだと納得できました。そして「ここまで好きにやらせてもらったんだから」と吹っ切れ、仕事にも打ち込めるように。勝負に追い立てられるような気持ちも静まっていました。ただ、せっかく痩せたんだから、ヒルクライムのレースにでも出てみようかなと。しかも、ヒルクライムには村山さんという絶対王者がいらっしゃったので、自分としては勝負にこだわるというより、レースを楽しみたいという気持ちが強かったですね。それが逆に良かったのか、「富士スバルライン」「あざみライン」という2つのレースで村山さんを差し置いて優勝しちゃったんです。不思議でしたね。それまではどんなに頑張っても、思うように成績が伸びなかった。それが、ヒルクライムのレースに出場した途端、メジャー大会で優勝。周りの人も僕に注目してくれるようになり、村山さんからも声をかけてもらえた。素直にうれしかったです。それからも、いろんなヒルクライムレースで10勝以上したんですが、「乗鞍をとらなきゃ、トップクラスのヒルクライマーとはいえない」と多くの方からハッパをかけられるように。それで、「乗鞍」を意識するように。トレーニング内容も乗鞍での優勝を目指したものにかえ、2005年、ほぼ狙い通りのレース内容で優勝することができました。

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「筧五郎さん」シリーズ!次回「優勝で変わったこと、そして結婚」へと続きます♪

お楽しみに!!

 

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